投稿日:2006-11-27 Mon

19日、東京で平和省のイベントがあった。
世界で唯二 平和憲法を持っている日本と中南米のコスタリカから来たリタさんの話を聞いた。
詳しくは
http://kikuchiyumi.blogspot.com/2006/11/5229-121-mb.html
そして、翌日は福山の、“感謝グループ”での、ネット会議“ソバシティー”のトライアルとかで、結局おそくに車で福山に駆けつける。

続きを読む >>
投稿日:2006-11-11 Sat

沖縄のお守り、干支の対極どうしをペアにして、それぞれに願いを書きました。糸数当選と基地撲滅です。
帰りにバス停で待ってるときも残り少しを手渡しました。それから、バスにのったのですが、途中で飛び降りました。というのは、かつてのなじみのお店をみかけたからです。今回は車でなかったので行けないと思ってたのが、バス停からみえるじゃないですか。
ついつい飛び降りてお茶して、ピアノまで弾いてきました。まあ、3年ぶりだったのに、みなさん覚えていてくださってとてもうれしかったです。
それからが大変、バスがないのでも一度県民広場にもどってまた別のバスにのって、
途中でとびおりて、タクシーを拾って姉のマンションに寄って、荷持をひっつかんで、
運転手さんを急がせて、飛行機の発つ10分前に空港に着きました。セーフ!
それから、8時はんには神戸空港におりて、一足先に神戸に来ていた南里さんと会いました。南里さんは翌日からインドでの学会に出かけるんですよ。「神戸の案内ならまかせて」っと北野坂の雲南の歌姫さまのお店に案内しました。
その晩はおりあしく貸切でしたが入らせて貰って、お相伴にあずかりました。
お礼に中国のピアノ曲を弾いて、万来の拍手をいただきました。と、楽しくハッピーに終わった長い旅行でした。
カンパくださったみなさんいろいろとありがとうございました。沖縄と尼崎の選挙もあと一週間の勝負、わたしたちもできるだけの応援をしようと決心して西宮の家に帰りつきました。ありがとうございました。
投稿日:2006-11-11 Sat

昼もかなりまわって、糸数理恵ちゃんに電話したら、彼女もちょうどあいたところで、
牧志の市場の上で一緒に遅いお昼にしました。パパイヤのチャンプルー、豆腐のチャンプルーとグルクンのからあげでした。おいしかった~~!理恵ちゃんには最後でいろいろおせわになったからおごらせてもらいました。理恵ちゃんありがとうございました。
そして、二人で県庁前までバスに乗りました。そろそろ県庁前の県民広場での、音楽が4時からはじまるからです。そこで、最後のローラー作戦、けっこうお話しながら、
手ごたえアリってかんじで、そうとう数ばらまきました。
広場で音楽もはじまり、本土からの議員さんの応援の言葉もありました。民主党のだれだったっけ・・・。糸数さんも、キナショウキチさんも後で来るとのことでした。
ほんとうに沖縄はおおらかにこのイベントを楽しんでいました。けっこう人々が寄ってきていました。わたしの持分はしっかりはけてしまいました。
それから、辺野古の基地問題をあばいた建築家の先生・・・にもお会いしたので、
もうさいごだからと、「拝啓 共産党さま」もついでに渡してきました。すると、“すべての武器を花にかえよう”の大きなシールを何枚もいただきました。
投稿日:2006-11-11 Sat

11月11日(土)さあ、今日は最終日、今日の神戸への最終便、夜6時半那覇発にのって神戸に帰ります。那覇の姉のマンションでさわやかに目覚めたわたしは、早速荷物をまとめておいてとびだしました。半日の勝負です。しかし風は強く、雲ゆきはちとあやしい。
カバンには昨日あずかった資料がずっしり入っています。
マンションからの道々もうろうろまわりながら、各家々にポスティングや庭に出てる方には話しかけたり、お店にも「こんにちは」と戸をあけて入ってお話しました。
一人ひとりに声かけしながら、呼びかけて糸数カードを渡し、話の具合でときには大きく美しい説明のパンフの手わたしをしました。住宅地の中の感触がよいお店には、このポスター(沖縄から女性知事を・・)を貼ってくださいとお願いもしました。
一般のお家でも、外にいる方には声かけてカードを渡してたら、
「がんばってえ」「あんたらにがんばってもらわんとね」「ようわかってるよ、がんばってねえ」と・・・・、
と、こちら側の働きかけを待っていたように期待をこめて答えてくださるのがとてもうれしかったです。
続きを読む >>
投稿日:2006-11-10 Fri

黒岩たかひろ参議院議員
ところで黒岩さんは、一度議員もなさっておられて、只今は議員のむすこさんが、彼女と入れ違いにが現地にはいって手伝われるそうです。彼女とは阪神大震災以来の10年ぶりの再会でしたが、
あの1995年は、米兵による少女暴行事件があって、沖縄全島が怒りに燃えた時でした。
そして、アメリカに向って、沖縄の重鎮の女性たち10人が抗議を申し入れに行ったのでした。
その時に糸数さんも一緒に行っていたそうですが・・・・・。
ですから、今回でもいろいろと思わされたのですが、なぜ、予備選挙をしないのかしら。
続きを読む >>
投稿日:2006-11-10 Fri
そしてその夜は金城先生のイチャリバチョーデーセンター(行き会えば友達・・・)で音楽とお話とでゆっくりと過ごしました。 あわただしかったこの3日間でほっと一息できた時間でした。黒岩さんたちともみながそれぞれに久しぶりの思い出話に花が咲き、おそくに選挙本部からもお一人かけつけて状況説明に来てくださりいました。その“イチャリバチョーデーセンター(行き会えば友達・・・)”の広いお部屋にはコンサートグランドピアノのすばらしいのがあり、北海道の拓ちゃんも、オーストラリアのヴィヴィルブー?というユーカリの木を白蟻さんがくりぬいた楽器を吹いてくれました。もちろん、金城弁護士の奥様の美しいソプラノも聞かせていただき、拓ちゃんの笛とのコラボレーションが楽しかったです。わたしもそれなりにピアノを弾かせていただきました。 話に音楽に花が咲いてとても有意義な時を過ごさせていただきました。
お客様方も何人かいらしてくださり10数人で楽しい夜をすごしました。そして、同じ方向の方の車に乗せていただいて姉のマンションに帰りました。 レンタカーだったらこういう出会いの楽しみもないですから、今回は歩きでほんと楽しかったです。
投稿日:2006-11-10 Fri

わたしは、高速バスで那覇の国分の沖縄大学に向いました。午後、きくちゆみさんが、そこで“目撃者”の講演とそこの先生との対談があるから。
まあ、びっくりしたことに、そこで新潟の黒岩千秩子さんと10年ぶりの再会をしました。彼女とは、あの阪神・淡路大震災以来でした。わたしが灘区で震災ボランティア“灘地域助け合いひまわりネットワーク”の代表で毎日出勤?していろいろとコーディネートしていた時、新潟から、震災孤児の子を何人か避難させたいと言ってこられたのが黒岩さんで、足長育英会など紹介したことがあったのです。
金城睦弁護士さんとも会えたし、ちょうどその夜は、彼の「イチャリバチョデーセンター」で音楽とおしゃべりの集いをしようと急遽決めてたので、ピアノの練習に向かおうと思ってたところ、ちょうど黒岩さんも一緒に車で同行することにしました。
そして、那覇の選対本部に行くことになりました。私は、あの!平山さんがいらっしゃるだろうから本部は失礼してました、というと、「えっ、彼は来ていないよ何かあったの?」と、金城さん。彼はずっと中国にいらしたので、あの平山さんがオウムとサリン発言で私を侮辱なさった話など全然ご存知ないことが分かりました。みなさんお忙しいからそんなものなんでしょう。で、安心して選対本部に向いました。^^
まあ、なかなか明るくて広い選対本部でした。ぞくぞくと内地から応援の方がかけつけてきているようでした。今日は田中康夫さんが来て、糸数さんと離島をまわっているそうです。壁には、社民から、民主から・・・総勢の応援メッセージのポスターが壁紙代わりにはってあるみたいにびっしり並べてありました。
というわけで、選対でいろいろお話伺わせていただき、明日の街中での街宣方法をうかがいました。どんどん宣伝してOK、沖縄ではなんでもOKだよ、とのお墨付きをいただいたので、やる気まんまん!カードもパンフレットもいっぱいいただいて、明日中に全部を消化してしまおうと、意気込んでカバンいっぱいいただいてきました。
投稿日:2006-11-10 Fri

テントで話をする平良牧師さま
今朝は、昨晩会った新聞記者さんが“朝のアピール”を取材に来られたので、終わってから一緒にティダの家に行き、ヨシタミさんやおばあたちから話しを聞いてました。彼女達の心から搾り出す深い体験はこの明るい自然とはまったく対照的だけど、それだけに、彼女達の平和を願う思いと祈りはどこまでも広がっていくように感じられました。
あと、その記者さんを浜のテント村「平和市民連絡会」に案内したら、丁度、平良夏芽さんが、20人くらいのグループにテントで話しをしているところでした。 そこで、先に辺野古の古い小さな公民館にまわって区長さんの話も少し聞いてきました。
ところが古い小さな公民館のすぐ前に、まあ! 燦然と輝く太陽のように、明るい白とオレンジ色の瓦のとても大きい公民館が、只今建設中です!すごい!さすがお金持ち!!!
あっ、糸数さんの街宣車が走ってる、よかった!
続きを読む >>
投稿日:2006-11-10 Fri

佐久間 務さん

日本山妙法寺の永沼弘夫さん
今朝もキャンプシュワブの前に立ってアピール行動に参加した。、
偉いのは80歳をすぎたキヨおばあ、毎朝キャンプまで歩いて往復、来週は北海道に行くよなんて元気に言ってらした。
68歳の渡嘉敷ヨシさんも戦争中友達が餓死やマラリアで死んだのを覚えているって。
62歳の當山佐代子さんも戦後食べ物がなかった時、この豊かな海が子ども達を食べさせてくれた、その恩返しで守らねばと。
基地を強行するなら、わたしらの屍を越えてゆけ! と、おばあたちの意思は固い。
続きを読む >>
投稿日:2006-11-09 Thu

水曜日の昼前に寄った名護市の選挙事務所は誰もいない、まだ電話もなく、選挙カーもなく、ビラもポスターもほとんど貼れてないという悲惨な状態。やる気ないんかという住民の声!を聞いた、みんなしっけてるみたい。北部は人口が少ないから軽ろんじられているのだろうか。
琉球大から戻って木曜日の夕方ももまた南里さんと一緒に名護の選対本部をのぞいたら、電話はまだだったけど仲田善幸議員さんが新聞記者のインタヴューを受けてらしたので横で聞かせていただきました。
名護市に今、つぎつぎに箱物が6つも7つも作られていること、それらの実態・・・についていろいろと聞かせていただきました。
ここにも、ハードを喜び自慢する行政の姿勢と対照的に、ソフトのあまりの貧弱さとの矛盾がみえました。
それらに付随して出来た建物に入った沖縄に来た企業は沖縄だからと安い賃金ですませるという格差を助長している。
南里さんもお母上をこちらに連れてきて看病してたら、健康保険料だったかしら、街より3倍にもなってとても大変だ、とか、出来た研究所に期待を持っていってみたら、まったく中身なしであきれた、とかいろいろ身近な話にも記者さんは興味を持って聞いておられました。
後インターネットとFAX受け取りに南里さん宅に伺い、つれあいさんとも久しぶりにお目にかかって楽しくおしゃべりしました。
続きを読む >>
投稿日:2006-11-09 Thu

今日は、昼休みの時間に、琉球大学できくちゆみさんたちと“教育基本法のシール投票”をするので、理恵さんといっしょに出かけていきました。昼休みに大学生協の食堂の前でしました。テレビと新聞社もいくつか来ていました。
「今、兵隊になるように命令に反抗しない子どもたちを育てる教育へと変えられようとしています。そのことを知っていますか? みなさんはどう考えますか」と、呼びかけました。
学生によびかけながら、教育基本法改訂について<賛成><反対><わからない>・・・にシールを貼ってもらうのです。全部で321票あったけど、そのうち
54.2%が 変えない わからないが27.4% 変えたほうがよいが18.4%
変えたほうがよいは、これまでの平均の27.5%より大分低かった。
続きを読む >>
投稿日:2006-11-09 Thu

水曜の夜は、那覇のエンピツビルで、きくちゆみさんのビデオとトーク
理恵ちゃんと那覇にでました。2日目は夜にきくちゆみさんが沖縄に到着で、鉛筆ビルの喫茶店でゆみさんの“ルース・チェンジ”の講演会ですから、その準備もあります。糸数さんの後援会に寄って彼女のマンガを手に入れたり、カードやチラシを貰ったりと、町をうろうろしているとけっこう渋滞でこんでいて時間をとりました。行ってから、本を並べたりといろいろ会場の準備をしました。
きくちゆみさんが飛行機がトラブって少し遅れるので、私は始まる15分前からピアノを楚々と弾き始めました。

がんばれ!沖縄知事女性候補
http://www5a.biglobe.ne.jp/~keiko-i/
続きを読む >>
投稿日:2006-11-09 Thu

11月8日(水)
ティダの家で目がさめました。ティダとは、沖縄の言葉で“太陽”という意味です。沖縄のおばあたちは太陽を拝みます。ウタキで太陽に向かい東に向って祈りを捧げます。
他にも二人泊まっておられました。京都の学生さんと地元の方でした。そして、このティダの場所を提供なさっているヨシタミ議員さんと、おばあたちは、毎朝、キャンプシュワブのゲート前にたって、のぼりをあげ、旗をもって、プラカード持ってアピールするそうです。一泊の恩義でわたしも一緒に立つことにしました。
「おはようございます。いってらっしゃい」「糸数けいこをよろしくお願いします」
と、きっかり7時~8時まで、行きかう車に手をふって呼びかけるのです。
投稿日:2006-11-08 Wed
火曜日の夜は、平和省の井上聖、ことガリさん、と美香さん、糸数理恵ちゃん、市民の風の金城睦弁護士、西脇さん、北海道の学生の卓也さん、喜慎さん、ソーシャルワーカーのさち子さんと私。、みんなで楽しく食べて今回の選挙のことなどもいろいろしゃべったよ。
投稿日:2006-11-07 Tue

さっそく返野古の浜のテント村に行きました。ちょうど浜で平良さんが話をしていると聞いて、理恵ちゃんと跳んでいきました。先に西宮からの学生さん二人がきていました。平良さんは、あの車の前に飛だしてタイヤにしがみついて逮捕された人です。とにかく凄い話を沢山聞かせていただきました。
いってみると、平良夏芽さんが、浜で丁度話しをはじめたところだという、毎日担当が替わっていて、今日は平良さんの番だそうだ、ラッキー!
理恵ちゃんと浜に行くと、有刺鉄線が白い砂浜を分断している。むこうはキャンプシュワブ、浜の向こうの丘の上の監視小屋からはいつもこちらを見てるそうだ。
そこで、平良さんたちの体をはっての、この浜の海中のボーリング調査のやぐらを死守してきた、さまざまな戦いのことをひとしきり聞く。凄い!の一語に尽きる。カヌー隊の訓練や、人命救助の資格をとったり、それがさっそくに役立った一刻を争ういのちを救った話これも戦い。海の上では、モーターの騒音といのちがかかっているから、どうしても大声で荒くなってしまうそうだ。
続きを読む >>
投稿日:2006-11-07 Tue

宜野座インターバス停
11月7日(火)
朝5時半出発、小雨の降る中、大森の生徒の家を出る。朝一番の飛行機の時はいつもお世話になっている。6時半羽田出発、9時半すぎにはもう沖縄の那覇空港に着いた。飛行機は速い。
日差しが強くてまぶしい!これぞ、沖縄! 空はぬけるように青い。 すぐさま高速バスに乗って、名護市に向う。宜野座インターに国立沖縄工専の南里さんが迎えに来てくれる。
久しぶりに旧交を温め話に花が咲く。彼女も今、いろいろと闘っているまっ最中。みんな元気だね。
平和省の糸数理恵ちゃんから電話が入り、今、辺野古の浜のテント村にいるという。さっそく会いにでかける。
△ PAGE UP